「光を放つ人に」  03−04−27
             ルカ8:16〜18

 <光が見えるように。>これは、私たちが光り輝くような人に
なりなさい、ということでしょうか。そうであれば、たじろいで
しまうような言葉です。
自分自身の欠けの多さを良く知っているからです。
 しかし、<宝を土の器に納めています>(コリントU4:7)と言われます
ように、私たちは光り輝くような存在ではなくとも、イエス・キリストと
いう宝が光るのです。そして、その主ゆえに、神は光り輝くような
存在として私たちのことをご覧になってくださるのです。
 <光が見えるように>というのは、私たちの内で光となってくださる
主イエスを伝える伝道のことであり、証しの生活を主が願っておられる
ということです。
それが、真の光である主を知っている者の過ごし方です。

 <持っている人は更に与えられる>と主はおっしゃいますが、
この世の経済通念ではありません。光を見えるようにと伝道することは、
さらに豊かに恵まれることになるのです。伝道し、主イエスを証ししよう
とするならば、自分が主イエスを本当に受け入れていることを、繰り返し
確認することが必要になります。そうやって主に目を向けることで、
一層、深い主との出会いが生み出されるからです。
 また、伝道の働きにおいてこそ、主に生かされ、支えられ、必要を
満たしてくださることを経験し、主が共にいてくださる幸いをいっそう
味わうことになるからです。

 <どう聞くべきかに注意しなさい>ともおっしゃいます。
 それは、人に伝えようとして御言葉を聞くことでしょう。それによって
御言葉との新たな、そして深い出会いを体験します。教会学校の教師
たちはこの恵みを度々味わっていることでしょう。
 主の光を伝えたいとの願いをもって御言葉を聞く時に、伝えられる
側よりも伝えようとする自分の方がずっと大きな恵みを味わいます。

そんな風に聞いてごらんと、主は呼びかけてくださっているのです。

 伝道は、私たちが、さらに深い主との出会いを味わえるようにと、
主が教えてくださった過ごし方です。